東京で屈指の繁華街としての顔と、閑静な高級住宅街としての顔を併せ持つ渋谷区。
そんな渋谷区は、坂が多いエリアとして知られています。
事実、渋谷駅付近は長年、坂による交通の分断が課題でした。
近年、その課題を解消すべく、立体的な歩行者の導線となる「アーバン・コア」という再開発の施策がとられています。
地図を見るとわかるとおり、渋谷区は武蔵野台地の東部、淀橋台地に位置しています。
淀橋台地は、標高30~60m程度で、目黒川と神田川に南北を挟まれています。
渋谷区中央部分には渋谷川によってできた谷があり、その支谷は西方へのびています。
それらの谷を取り巻くように、千駄ヶ谷、代々木・幡ヶ谷、東渋谷、駒場・西渋谷といった台地が広がっています。
渋谷区の地名には、そういった地形をあらわす由来がちりばめられています。
今回は、渋谷区のなかでも、地形や自然にフォーカスした地名の数々をご紹介します。
「渋谷」の由来
「渋谷」という地名の由来は、諸説あります。
地形にまつわるものとしては3つ。
ひとつは、現在の渋谷区周辺を流れる川が、鉄分を多く含む赤錆色の水だったため、「しぶ色」から「しぶや川」と名付けられたという説。
さらに、その渋谷川流域の低地が、「しぼんだ谷」だったことから名づけられたという説。
もうひとつは、渋谷区付近が「塩谷の里」と呼ばれる入江だったことから、「塩谷」が転じて「しぶや」になったという説です。
ほかに、人名が由来する説としては、平安時代の終わりごろの逸話があります。
現在の渋谷区周辺の領主である河崎重家が、京都御所に侵入した賊の「渋谷権介盛国」を捕らえました。
そのため、河崎重家は「渋谷」の姓を賜り、領地であった「谷盛庄」が「渋谷」に変わったというものです。
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谷形の地形が由来となっている「鶯谷町」
鶯谷町は、桜丘、鉢山、代官山といった小高い丘に囲まれた、谷形の地形です。
現在の鶯谷町がある地域には、かつて川が流れていました。
このうち、三田用水鉢山口分水にかかっていた橋が鶯橋と呼ばれていたため、「鶯谷町」と呼ばれるようになりました。
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塚が由来となっている「笹塚」と「猿楽町」
古く、渋谷区には江戸五街道のひとつである甲州街道が通っていました。
甲州街道の両端には、1604年に大久保長安によりつくられた塚があります。
その上には笹が生い茂っていたことから、その周辺を「笹塚」と呼ぶようになったといわれています。
また、現在の猿楽町があったあたりには塚があり、これが「猿楽塚」と呼ばれていました。
この猿楽塚の由来としてはふたつ説があり、ひとつは鎌倉時代に、源頼朝がこの地で猿楽を催しその道具を埋めたことで名づけられたという説。
もうひとつは、この塚の風景が良く、昔、ある長者が宴を行うことで憂さ晴らしをしたことから、「去ヶ苦」と呼ばれるようになり、のちに「猿楽」と表記するようになったという説です。
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野原が由来の「広尾」
広尾があったあたりは、かつて土筆(つくし)が茂る「土筆ヶ原」と呼ばれていました。その場所はのちに「広野」と呼ばれるようになり、1688年~1703年の元禄検地のころから「広尾」と呼ばれるようになりました。
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木に由来がある「代々木」と「桜丘」
代々木は、戦国時代のころにはすでに「代々木村」と呼ばれていたエリアです。
その由来は、代々木村の村人が、『代々、サイカチの木を生産していたから』ということにちなんでいるという説があります。
サイカチの木は、マメ科の落葉樹で、日本固有種の樹木。
捨てるところのない樹木で、木材を家具に使うことや、若葉・若芽を食することができるだけでなく、石鹸の代わりに使用したり、とげを生薬として利用したり、実を玩具として使用したりしていたそう。
現在も、代々木公園にサイカチの古樹を見ることができます。
その点、「桜丘」は、比較的最近の地名です。
かつては「海江田山」と呼ばれている丘の地形でしたが、明治維新の折に薩摩軍海江田隊長が桜を植樹し、住宅地として開発したことで、「桜丘」と呼ばれるようになりました。
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代々木村から見た位置関係が由来の「上原」
かつての代々木村の一部で、中央部から西部にかけての地域が、現在の上原です。
「上原」は、代々木村から見て高台の平坦地にあることから、「上の原」(うえっぱら)の意味で名づけられた地名です。
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空鉢仙人の伝説に由来する「鉢山町」と「神泉」
「鉢山町」は、伝説が由来となっている地名です。
鉢山町のあたりには山があり、この山は空鉢仙人の鉢が飛来したことによってできたという伝説があります。
空鉢仙人とは、6~7世紀ころに、中国・朝鮮半島を経由して日本に渡ってきたインドの仙人で、法道仙人ともいわれる人物です。
また、「神泉」の由来は、古くから霊泉として知られる泉があったからといわれています。
江戸時代に刊行された「江戸砂子」にはすでにその記載があり、その泉の水は、空鉢仙人がこの地で不老不死の薬を練るための霊水とされています。
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池が由来となった「幡ヶ谷」
「幡ヶ谷」は、かつてこの地にあった「旗洗池」に由来があります。
後三年の役の後に上洛した源義家が、途中、この池で白旗を洗ったということからその名が付きました。
その白旗は現在、金王八幡宮の社宝となっています。
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たくさんの茅や稲が由来となった千駄ヶ谷
「千駄ヶ谷」の「千駄」とは、「それほどたくさん」という意味。
「千駄ヶ谷」の由来はふたつ説があり、ひとつは昔、このあたりが見渡す限りの茅野原だったものを、寛永年間(1624年~)に日々刈り取ったことから、1644年ころに「千駄萱村」と呼ばれるようになったことからというもの。
もうひとつは、かつてこの地の谷間に、栽培されている稲がたくさんあったことから名づけられたという説です。
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化石層が由来の「富ヶ谷」
富ヶ谷があるあたりは、かつて「留貝」と呼ばれていました。
なぜならば、このあたり一帯に貝の化石層があったから。
位置としては、富ヶ谷の低地にあたる、富ヶ谷1丁目から代々木公園駅あたりまでとのことです。
「留貝」が転じて、やがて「富ヶ谷」となりました。
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かつては山林や森だった「代官山」・「大山町」
閑静な住宅街が広がる代官山は、かつては山林でした。
地名の由来は、山林が代官の所有であったからとか、代官の屋敷があったからとか、諸説がありますが、定かではありません。
江戸時代にはすでに、「代官山」という地名の記録があります。
大山町はかつて、鬱蒼とした森でした。
「大山」という地名は古くから使われていましたが、明治初期にかの維新三傑・木戸孝允(桂小五郎)がこの地を農園として開拓します。
その後1913年に鈴木善助の手によって広大な和風庭園「大山園」がつくられたことから、「大山町」の町名がつきました。
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その他にも歴史ある地名がたくさん
今回は、地形や自然にフォーカスした由来の地名をご紹介しました。
ほかにも、明治神宮があったことで近年名づけられた「代々木神園」「神南」や、人名が由来の「道玄坂」「初台」、茶園が由来の「松濤」、ビール工場が由来の「恵比寿」など、渋谷区には多種多様な地名があります。
普段なにげなく生活しているなかにも、さまざまな歴史や伝統が息づいていると思うと、より一層、面白味が増すのではないでしょうか。
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